12月8日に、不正な教授人事により原告の学問の自由が侵害されたことを証明する以下の書面一式を完成、提出しました。
原告準備書面(8)
証拠説明書(10)
正直なところ、前回の原告本人尋問で、原告がやるべきことはやり尽くした感があり--これだけ、逃げも隠れも出来ない「不正な教授人事」が明らかにされた以上、その結果、原告が目指してきた学融合の推進が阻害され、学問の自由が侵害されたのは自明である、と。
しかし、今回、なぜ、今回、不正な教授人事が学問の自由の侵害になるのかを、そのからくりを、コモンセンスではなく、人権の理論として明らかにする作業をしてみて、初めて分かったことがありました。原告自身にとっても、
「(自分も含め)現代の大学等の研究者はなぜこれほどまでに無力で、無内容で、みじめなのか。それは単に彼らが甘やかされている、だらしがないからだけではない。その根っこには、研究者たちは自分がいったい何者で、何をしているのか分からなくなっていることがある。研究者たちは知らずして、みずから真理探究の自由を返上していて、その事実に気づくことすらない。そのため、外から学問の自由を侵害されても、それが侵害だと気がつくことすらできない。これが我々研究者がみじめであることの根本的な理由だ」
と、単に直感的ではなく、理論的にも確信を抱くに至りました。
これには、正直なところ、原告代理人にとっても想定外の出来事で、学問の自由の侵害から、「いくら我々の人権が侵害されようが、その前に、我々自身が人権を放棄しているため、侵害であると認識することすら出来なくなっている」と現代の人権侵害状況の本質の1つがはっきり見えてくる。
いくら、漠然と抽象的に、立憲主義だの、人権侵害だのと叫んでも、その内実がリアルに実感をもって感じられない限り、その言葉は絵に描いた餅でしかありません。この意味で、学問の自由の侵害を問う私たちの裁判もあやうく、「絵に描いた餅」で終わるところでした。しかし、最終局面に至り、本物の餅に至る扉を見つけたのではないかと実感しています。
そして、この扉を開けてくれたカギが
高柳信一元東京大学社会科学研究所教授の「学問の自由」(1983年)でした。この本から、現代において、研究者たちは、構造的に、いかに真理探究の自由から迫害される条件に置かれているのか、単刀直入に余すところなく示され、これを読み終わった研究者の耳元には、
「きみたちはいま、実にひどい環境で真理探究をしていますよ!」
という声が響き渡るでしょう。
この偉大な憲法研究者の研究成果に心から畏敬と感謝の念を表明します。
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平成28年(ワ)第24543号 損害賠償請求事件
原 告 柳田 辰雄
被 告 国立大学法人東京大学
原告準備書面 (8)
2017年12月 8日
東京地方裁判所民事第14部合2A係 御中
原告訴訟代理人 弁護士 柳原 敏夫
本書面は、本訴の争点のうち「学問の自由の侵害」について、要件事実を踏まえて原告主張を再整理したものである。
目 次
ここでの問題は、本件教授人事における3つの違反行為(不作為不法行為。その意味は原告準備書面(6)で述べた通りである)によって原告の学問の自由が侵害されたか否かである。
この点、学問の自由の侵害として有名な事件として、美濃部達吉の憲法学説が「わが国体にもとり」「皇室の尊厳を冒瀆する」ものとして美濃部の著作が発禁処分、美濃部が不敬罪で告発された天皇機関説事件、警察官の大学構内立入り行為が問題となったポポロ事件が挙げられるが、これらの事件と比較したとき、本件は、学問の自由の侵害として有名な上記事件とはほど遠い事例のように見える。なぜなら、本件では時の政府も警察官も直接登場する事例ではないからである、だが、時の政府や警察官が直接登場しないような事例では学問の自由の侵害の余地はないのだろうか。答えは否である。それどころか、時の政府も警察官も直接登場しないような本件事例こそ、現代における学問の自由の侵害の典型的な事例である。では、なぜ本件事例が典型的な事例なのか、その理由を明らかにするためには、明治憲法に明文の定めはなく、日本国憲法で初めて「学問の自由」の保障が登場した理由を、歴史的に言えば、表現の自由を保障した近代憲法(明治憲法等)にはなかった「学問の自由」がその後、現代憲法(日本国憲法等)において登場した理由を明らかにする必要がある。まずこの点について、以下詳述する。
表現の自由を保障した明治憲法には「学問の自由」の保障はなく、日本国憲法で初めて「学問の自由」の保障が登場した。なぜ登場したのか。この問いはまた次のように言い換えることができる。日本国憲法は思想および良心の自由や表現の自由など一般的な市民的自由を保障しており、本来なら、研究の自由はこれらの保障で足りる筈である。それなのになぜ、その上に「学問の自由」を保障したのか。
この問いに対し、学説の中には、学問研究に高度の価値を認め、それゆえに一般の市民的自由以上の高い程度の自由を保障したのが学問の自由の趣旨だとするものがある(宮沢俊義「憲法Ⅱ」395頁)。
しかし、不合理な差別を禁じた日本国憲法の観点からすれば、学問研究に従事する者といえども、一般市民以上の高度の自由を持つというのは人間性を尊重するという個人主義的・民主主義的理念に照らし合理性が認められない。では、市民的自由以外に学問の自由を保障した理由はどこにあるか。
それは、現代憲法が近代憲法に対して有する特徴から説明できる。その特徴とは「新しい酒は新しい皮袋に盛れ」である。私人間の生活は、近代社会の進展の中で、近代憲法制定当時にはなかった「新しい酒」=新しい環境が出現した。それが、所有権の絶対不可侵性、契約自由の原則に立脚した経済活動が貧富の格差の拡大という新たな不平等、不公平をもたらしたことである。そこで、この「新しい酒」にふさわしい「新しい皮袋」が用意された。それが「(形式的)自由から(実質的)平等へ」という基本理念の転換を伴う「社会権」の出現である。その狙いは、新しい環境のもとで個人の自由権が形骸化したのに対し、この「新しい皮袋」により個人の生存を確保し、もって失われた個人の自由権を実質的に保障するためである(宮沢俊義「憲法Ⅱ」87頁)。
これと同様のことが学問の自由において発生した。学問研究をめぐる研究者の環境においても、近代憲法制定当時にはなかった「新しい酒」=新しい環境が出現し、それが「新しい皮袋」=学問の自由をもたらしたからである。その新しい環境とは一言で言って、「研究者が、研究手段から切り離されて、雇用された研究教育機関において学問研究を行う」という環境である。以下、この点について詳述する。
なお、学問の自由には研究の自由および教育(教授)の自由があるが、本件はこのうち研究の自由が問題となっているので、以下の学問の自由の議論では教育の自由の問題は割愛し、もっぱら研究の自由を念頭に置いて論じる。
研究者といえどもまず生きていかなければならない。論理的には人間としてまず生きる条件が満たされて、次に研究することができる。そこで、サラリーマンとして商店主としてまたは農民として生きる糧を得て、その余暇に、余力をもって学問研究を行う場合がある。このような研究に対して、思想および良心の自由や表現の自由などの一般的な市民的自由(以下、この意味で「市民的自由」と呼ぶ)が保障されるのは当然である。しかし、近代社会の進展の中で、研究対象がますます複雑化し、研究方法がいよいよ精緻化するにつれ、こうした余技としての研究は例外的となり、それに代わり、学問研究の主要な地位を占めたのが、余技としてではなく、生活の糧も学問研究の場も同時に得る雇用された研究者たちの職業としての研究である。彼らは、大学に代表される教育研究機関に雇用され、生活の糧を与えられながら、同時に、教育研究機関において学問研究に専念したのである(以下、この職業的研究者を「教員研究者」と呼ぶ)。
この雇用関係の結果、本来であれば、教員研究者が教育研究機関において学問研究に従事するにあたっては、彼らに対し、教育研究機関が雇主として有する諸権能(業務命令権、懲戒権、解雇権等)を行使することが認められる。しかし、学問研究とは本来、これに従事する研究者が自らの高められた専門的能力と知的誠実性をもって、ただ事実に基づき理性に導かれて、この意味において自主的にこれを行うほかないものである。そこで、もしこのような本質を有する学問研究に対し上記諸権能の行使がそのまま認められたのでは、教員研究者の教育研究機関における学問研究の自主性が損なわれるのは必至である。なぜなら、雇主は使用人である教員研究者の研究態度や研究内容が気に入らなければ、雇主の権限を用いて使用人を簡単に解雇することが出来、或いは使用人の研究内容や方法についてあれこれ指示を出すことも出来、雇主の指揮命令下にある使用人である教員研究者はこれらの措置に従わざるを得ないからである。雇主のこれらの措置の結果、結局において、教員研究者の教育研究機関における学問研究の自由は存在の余地がなくなる(「学問の自由」の研究の第一人者と言われる高柳信一東京大学名誉教授の「学問の自由」36~68頁〔甲70〕。甲71基本法コンメンタール憲法(第3版)高柳・大浜啓吉「学問の自由」2、学問の自由保障の根拠と趣旨〔98~100頁〕)。
以上によって、仕事の余技として学問研究を行うのではなく、教育研究機関に雇われて当該機関で使用人としての立場で学問研究を行うという「新しい環境」(その環境は偶然のものではなく、近代資本制社会において構造的に必然のものとして出現している)の下では、教員研究者に、単に個人として一般的な市民的自由を保障しただけでは、彼らの主要な学問研究の拠点である教育研究機関内部において学問研究の自由を保障したことにはならない。教育研究機関の内部においては、教員研究者は雇用における指揮命令の関係によって、一般的な市民的自由は既に失われているからである。
そこで、教育研究機関の内部においても、教員研究者に既に失われた市民的自由を回復し、もって教員研究者の学問研究の自由を保障するために、新しい皮袋=新しい人権を用意する必要がある。それが「学問の自由」が登場した所以である。すなわち19世紀後半以降、新しい人権として「学問の自由」が意識され、その保障が要求されるようになり、遂にその保障が実現されるに至ったのである。この意味で、教育研究機関の内部で一般的な市民的自由の回復をはかる「学問の自由」は市民的自由と同質的なもので、従ってそれは学者(教授)という身分に伴う特権ではなく、教育研究機関における真理探究という終わりのない過程ないし機能そのものを保障する「機能的自由」であり、それは学問的な対話・コミュニケーションであるからそのプロセスに参加するすべての者に保障されるものである(甲70高柳「学問の自由」36~41頁。61~65頁。甲71高柳ら99頁(4)。甲72芦部信喜「憲法学Ⅲ人権各論(1)増補版」206頁6行目以下、甲73有斐閣双書憲法(2)〔第3版〕240頁も高柳説に賛成。甲74憲法1(第5版)336頁は総説の諸外国の沿革で高柳説の問題提起を紹介。参考までに、以上を単純化して模式図として示すと以下の通りである)。
(1)、「学問の自由」の本質的な内容
以上の「学問の自由」の保障の起源から、学問の自由の本質的な内容がおのずと導き出される。すなわち、学問の自由の本質的な内容とは、教育研究機関に雇用された教員研究者が研究教育機関内部において学問研究するにあたって、その研究に対して、研究教育機関の設置者または外的管理権者(以下、両者を総称して「設置者ら」という)が使用者として有する諸権能(業務命令権、懲戒権、解雇権等)を行使することを通じて当該研究の自由が損なわれることを防ぐことにある。言い換えれば、研究教育機関の設置者らの上記諸権能のいかなるものも、それが教員研究者の学問研究と矛盾抵触する限りにおいて、上記諸権能を制限・排除して、教員研究者の学問研究の自由を確保することにある(甲70高柳「学問の自由」65~66頁)。
(2)、「学問の自由」の具体的内容
ア、学問研究の内容・方法・対象の自主決定権
上記(1)で明らかにされた学問の自由の本質的な内容を、今、教員研究者側から眺めると、それは、学問研究とは事実と真理についての研究者自らの判断に基づいて遂行されるものあって、研究教育機関の設置者らの上記諸権能の行使によるいかなる介入・干渉にも拘束されるものではないと言い表すことができる。これが教員研究者に認められた「学問研究の内容・方法・対象の自主決定権」である。
イ、特定の学問研究の方法を実現する手続・過程(教員人事)の自主決定権
そして、学問研究の「方法」の自主決定権の具体例として次のような事例が考えられる。教員研究者集団が集団内部で取り組む学問研究の方法(例えば学融合)を承認し、それを実現するため当該学問研究を担当する教員を新規採用する場合である。この手続・過程において、当該教員研究者集団は承認した学問研究の方法に沿ってこの教員人事を実現するという自主的決定の下で「教員人事の自主決定権」を有する。
(1)、「学問の自由」の侵害の本質的な内容
以上の学問の自由の本質的な内容から、学問の自由の侵害事例の本来の意味もおのずと明らかとなる。すなわち学問の自由が侵害される主たる場合とは、時の政府や警察官が直接登場するのではなく、研究教育機関の設置者らが使用者として有する諸権能(業務命令権、懲戒権、解雇権等)を行使することを通じて、教員研究者の研究教育機関内部における学問研究の自由と矛盾抵触する事態を引き起こし、学問研究の自主性が損なわれた場合にほかならない。これが「学問の自由」の侵害の本来の意味である。
(2)、「学問の自由」の侵害の具体的内容
ア、「学問研究の内容・方法・対象の自主決定権」の侵害
4、(2)、アで前述した通り、研究の自由の中心は「学問研究の内容・方法・対象の自主決定権」である。従って、教員研究者が自主的に決定した学問研究の内容・方法・対象を、研究教育機関の設置者らが使用者として有する諸権限を行使して、当該学問研究の内容・方法・対象と矛盾抵触する事態を引き起こしたとき、それは当該「学問研究の内容・方法・対象の自主決定権」を損なうものである。これが「学問の自由の侵害」の典型事例にほかならない。
イ、「特定の学問研究の方法を実現する手続・過程(教員人事)の自主決定権」の侵害
4、(2)、イで前述した通り、「学問研究の内容・方法・対象の自主決定権」の具体例の1つが、教員研究者集団が集団内部で取り組む学問研究の方法(例えば学融合)を承認し、それを実行するため当該学問研究を担当する教員を新規採用する場合に当該教員研究者集団に当該「教員人事の自主決定権」がある。従って、上記教員人事に対し、研究教育機関の設置者らが使用者として有する諸権限を行使して、教員研究者集団が自主的に決定した教員人事と矛盾抵触する事態を引き起こしたとき、それは当該「教員人事の自主決定権」を損なうものであり、「学問研究の内容・方法・対象の自主決定権」の侵害に該当する。従って、それは「学問の自由の侵害」の典型事例の1つである。
本件では、6で述べる通り、まさに、このような典型的な「学問の自由の侵害」の有無が問われているのである。
本件は被告の東京大学に雇用された原告が、東京大学内部において行ってきた学問研究すなわち原告が提案し、国際協力学専攻の前身国際環境基盤学大講座の教員間で合意された新たな研究方法である本学融合(その意味は原告準備書面(3)2(2)で述べた通りである)を推進するため、本学融合を構成する国際政策協調学を担当する教授を新規採用するため国際政策協調学分野の教授人事(以下、本件教授人事という)を実施することになったとき、これに対し、被告の東京大学の管理者たち(國島正彦国際協力学専攻長、味埜俊環境学系長及び大和裕幸新領域創成科学研究科長〔以下、國島専攻長、味埜系長、大和研究科長という〕。以下、この3人を総称して「東京大学の管理者たち」という)が本件教授人事手続において違法な職務行為に出て、本件教授人事を停止し、なおかつ違法な手続で別な分野(社会的意思決定分野)に変更した上で、当該分野の教授人事を敢行した(その事実関係の詳細は原告準備書面(5)第2、第3)。その結果、本学融合を構成する国際政策協調学分野の教授人事の実現が妨げられ、結局、被告の東京大学の管理者たちの介入により本学融合の自主的決定権が奪われた事例であり、この意味で、本件はまさに学問の自由の侵害の典型例に該当するか否かが問われる裁判である。
これまで述べてきたことから明らかな通り、本件事例が「学問の自由」の侵害に該当するか否かを破断するためには、本件事例が「学問研究の内容・方法・対象の自主決定権」の侵害に該当するか否かを検討する必要がある。さらに、この判断をするためには、本件事例が「特定の学問研究の方法を実現する手続・過程(教員人事)の自主決定権」の侵害に該当するか否かを検討する必要がある。言い換えれば、本件事例の検討とは、「教員研究者集団が自主的に決定した特定の学問研究の方法(本学融合)を実現する手続・過程(教員人事)に対して、研究教育機関の設置者らが使用者として有する権限を行使して、教員研究者集団が自主的に決定した教員人事と矛盾抵触する事態を引き起こした」に該当するか否かである。結論として、以下に述べる理由からこれに該当することは明らかである。
尤も、上記1の問題を論ずる前に、一言指摘しておくことがある。それは、本件教授人事における3つの違反行為はそれ自体で、大学の自治の内容を構成する「教員人事の自主的決定権」を侵害するということである。すわなち、
大学の自治の内容の1つとして、教員の人事権は学問的能力と知的誠実性を正しく評価できる同僚である教員研究者自身が有し、研究教育機関の設置者らの介入・干渉を排除するという「教員人事の自主的決定権」が存在するところ、被告の東京大学の管理者たちによる本件教授人事における3つの違反行為は研究教育機関の設置者らによる不当な介入・干渉に該当し、「教員人事の自主的決定権」を著しく損なうものである。
従って、上記3つの違反行為それ自体で、大学の自治(教員人事の自主的決定権)の侵害に該当する。
その上で、以下に述べる通り、上記3つの違反行為により、原告が推進していた本学融合に不当に介入・干渉したものであり、この意味で、研究の自由の内容を構成する「学問研究の内容・方法・対象の自主的決定権」の侵害に該当する。
(1)、「特定の学問研究の方法を実現する手続・過程(教員人事)の自主決定権」の侵害の成立要件
以上明らかにした内容から、「特定の学問研究の方法を実現する手続・過程(教員人事)の自主決定権」の侵害が成立するために、さしあたって次の要件が導かれる。
①.
特定の学問研究の方法の存在:教員研究者の集団において、特定の学問研究の方法を採用することが承認され、それを実現する手続・過程(例えば教員人事)が実行されたこと。
②.
行為の存在(特定の学問研究に対する介入・干渉):上記の承認された「特定の学問研究の方法」を実現する手続・過程(例えば教員人事)に対して、研究教育機関の設置者らの介入・干渉が加えられたこと。
③.
結果の発生(特定の学問研究と矛盾抵触する事態が惹起)上記の介入・干渉により、承認された「特定の学問研究の方法」を実現する手続・過程(例えば教員人事)と矛盾抵触する事態が引き起こされたこと。
ここで問題は、「学問研究の内容・方法・対象の自主的決定権」の侵害が成立するためには、上記①および②の要件だけで足り、③は不要か、それとも①②③の3つの要件が備わることが必要か否かである。
この点、第2、4、(2)で前述した通り、学問研究の自由と表裏一体の関係にある大学の自治としての「学問研究の内容・方法・対象の自主的決定権」の侵害については、特定の学問研究と矛盾抵触する事態が発生するかどうかを問わず、いやしくも当該学問研究の内容・方法・対象に対して研究教育機関の設置者らの介入・干渉が加えられたことさえ認められればそれだけで自主的決定権が損なわれたとされ、大学の自治の侵害が認められる。つまり、上記①および②の要件だけで足りる。そうだとすれば、大学の自治と表裏一体の関係にある学問研究の自由としての「学問研究の内容・方法・対象の自主的決定権」の侵害の場合も同様に上記①および②の要件で足りると解すべきである。
従って、「学問研究の内容・方法・対象の自主的決定権」の成立要件について、原告は「上記①および②の要件で足りる」を主張するが、仮にこの主張が認められない場合に備えて、予備的主張として「①②③の3つの要件が必要である」を主張する。
(2)、本件の検討
ア、要件①について
(ア)、本学融合の正式な承認
2004年5月から、国際環境基盤学大講座を国際協力学専攻に改組するにあたって、国際協力学専攻の研究・教育体制の全体構想(アカデミックプラン)を明らかにするために、国際環境基盤学大講座の教員全員で討議し、同年10月にアカデミックプランを決定した。そのアカデミックプランの中に、原告が所属する制度設計講座は、法学、政治学と経済学の学融合の推進により、国際システムの課題をより包括的に理解することを目的とすることが承認された(甲58原告陳述書(4)3頁)。
(イ)、本学融合実現に向けての取組み(教授人事)
上記アカデミックプランの決定により本学融合が正式に承認されたのを受け、翌2005年から本学融合の担い手となる研究者の採用活動が以下の通り本格化した(甲63原告陳述書(5)16頁経過年表)。
同年7月、前年退職した国際政策協調学分野の松原望教授の後任人事のため、国際協力学専攻より学術経営員会に国際政策協調学分野の後任人事が発議され、国際公募(甲44)の末、翌2006年3月、基幹専攻会議で意見の一致が得られず教授人事は不成立に終わった。改組された国際協力学専攻の2006年4月の第1回基幹専攻会議で、国際政策協調学の教授人事は「再公募の意向が承認」され(甲45同会議の議事録4頁12)、2008年6月、原告が基幹専攻会議に本学融合を示し、国際政策協調学の公募人事の再開を提案し(甲6)、2009年5月、国際政策協調学の教授人事の手続が再開されたのである(甲7の3参照)。
(ウ)、小括
上記の事実から「本学融合を採用することが国際協力学専攻の前身国際環境基盤学大講座で承認され、それを実現する手続・過程である教員人事が実行された」ことが認められる。
従って、本件で要件①は認められる。
イ、要件②について
(ア)、本件では、以下の通り、被告の東京大学の管理者たち(國島専攻長、味埜研究系長、大和研究科長)の3つの違法行為により、本件教授人事に対して介入・干渉が加えられた。
ⓐ進行中の教授人事の「停止」(原告準備書面(6)第2、1、(2))
教授選考委員会が国際政策協調学分野で進行中の教授候補者の募集活動等の教授人事を「停止」するにあたっては、事前に発議した国際協力学の基幹専攻会議及び事後に教授選考委員会を設置した学術経営委員会に対して「停止」の説明及び承認を経る義務があるにも関わらず、教授選考委員会の委員である國島正彦国際協力学専攻長、味埜俊環境学系長及び大和裕幸新領域創成科学研究科長(以下、國島専攻長、味埜系長、大和研究科長という)は共同して、2009年10月27日から11月25日にかけて、この義務に違反していずれの会議においても上記説明・承認を経ずに募集活動等の教授人事を「停止」した。
ⓑ「基幹専攻会議で分野変更の審議・決定」を経た上で発議する手続の不存在(原告準備書面(6)第2、2、(2))
国際政策協調学分野で教授選考を発議して既に進行中の教授候補者の募集活動等の教授人事を「停止」し、あらためて学術経営委員会に分野変更を発議するためは、国際協力学の基幹専攻会議で分野変更の審議・決定を経る義務があるにも関わらず、國島専攻長及び味埜系長は共同して、2009年11月11日~25日にかけて、この義務に違反して上記審議・決議を経ずに学術経営委員会に分野変更を発議した。
ⓒ「分野選定委員会の開催・審議・決定」という手続の不存在 (原告準備書面(6)第2、3、(2))
学術経営委員会で分野変更するためには、設置された分野選定委員会の会議で分野変更の審議・決定を経る必要がある(甲52の2)にも関わらず、分野選定委員会の委員である國島専攻長、味埜系長及び大和研究科長は共同して、2009年11月25日に分野選定委員会の会議を開催したことを仮装し、仮装の同会議で国際政策協調学から社会的意思決定に分野変更する審議・決定を経たという虚偽の内容の審議結果報告書(甲18の3・同20の2) を作成した。
(イ)、小括
上記の事実から「本学融合を実現する手続・過程である本件教授人事に対し東京大学の管理者たちの介入・干渉が加えられた」ことが認められる。
従って、本件で要件②は認められる。
ウ、要件③について
(ア)、本件では、東京大学の管理者たちの介入・干渉により国際協力学専攻の基幹専攻会議の承認の下で進められていた本件教授人事は突如停止され、国際協力学専攻の基幹専攻会議の承認のないまま別の分野(社会的意思決定分野)に変更され、社会的意思決定分野の教授が選任された。言い換えれば、本学融合を構成する国際政策協調学分野の教授人事の実現が妨げられ、結局、被告の東京大学の管理者たちの介入・干渉により本国際政策協調学分野の教授選任は実現されなかった。まさしくそれは、本学融合を実現する手続・過程として承認されていた国際政策協調学分野の教授選任と矛盾抵触する事態であった。
(イ)、小括
上記の事実から「本学融合を実現する手続・過程である本件教授人事と矛盾抵触する事態が引き起こされた」ことが認められる。
従って、本件で要件③は認められる。
エ、結論
以上から、3(1)で前述した主位的主張または予備的主張のいずれにせよ、本件において、本学融合を実現する手続・過程である本件教授人事の自主決定権の侵害が成立する。これは「学問研究の内容・方法・対象の自主的決定権」の侵害、すわなち「学問の自由」の侵害の成立である。
以上で、要件事実を踏まえた「学問の自由」の侵害の成立に必要な論点は論じ終わったが、なお念のため、「学問の自由」の侵害に関連した付随的な問題に言及しておく。
本件の学問の自由の侵害に対し、次のような反論が考えられる。
たとえ本件教授人事が頓挫したとしても、原告は学外で必要な人材と接触し、交流を作り出すことにより本学融合を推進することは可能なのだから、学問の自由の侵害はない、と。
確かに、そのような方法で学融合を進める可能性を否定はしない。しかし、その可能性があるからといって、現実に進めてきた本学融合の推進を阻害した被告の東京大学の管理者たち(國島専攻長、味埜研究系長、大和研究科長)の侵害行為の責任を免れるための正当な理由には全然ならない。
のみならず、本件のように、研究教育機関の設置者らが使用者として有する権限を行使して、学問の自由を侵害する事例こそ、現代における学問の自由の最も中心的な侵害事例にほかならず、この重要な侵害事例を看過することは到底許容できない。
また、本件の学問の自由の侵害に対し、次のような反論が考えられる。
たとえ本件教授人事が頓挫したとしても、社会的意思決定分野の教授人事が実現したのだから、就任した社会的意思決定分野の教授との間で、事実上、学融合を進めれば、本学融合の推進は可能だったはずである、と。
しかし、そもそも本学融合が全体論(ホーリズム)の方法論(甲1原告陳述書5頁1行目以下参照)に基づくものであるのに対し、社会的意思決定は論理実証主義の方法論に基づくもので、両者は研究の方法論として根本的に相容れないものである。なおかつ本件教授人事で社会的意思決定分野の教授として就任した堀田昌英教授の研究分野は工学系の「資源環境管理学」分野であり、社会科学分野の法学、政治学と経済学の学融合を目指していた本学融合を彼と推進することは不可能である(甲63原告陳述書(5)13頁、5)。
たとえ研究教育機関の設置者らの介入・干渉が認められるとしても、本学融合はその成果がまだ出ていない段階であり、研究の「準備段階」にすぎないから、学問の自由の侵害にはなり得ない、と。
→学問の自由を保障した趣旨は、大学の自治の保障がそうであるように、教員研究者が真理探究という使命を果たすために必要な範囲でその保障が及ぶとしたものである、この意味で、学問の自由の保障の対象は「学問の成果」ではなく、真理の探究という過程ないし機能そのものである(高柳「学問の自由」128頁)。従って、遅くとも本学融合が国際協力学専攻の前身の国際環境基盤学大講座で正式に承認された時点以降は、本学融合は被告の東京大学内部で、学問の自由の保障の対象となる「真理の探究という過程ないし機能そのもの」が正式にスタートしたのであり、本件教授人事をめぐる研究教育機関の設置者らの介入・干渉が学問の自由の侵害にはなるのは言うまでもない。
以上から、本件において、被告の東京大学の管理者たち(國島専攻長、味埜研究系長、大和研究科長)の介入・干渉により、本学融合を実現する手続・過程として実施された本件教授人事の自主決定権が侵害され、原告の学問の自由が侵害されたことが明らかである。
以 上
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平成28年(ワ)第24543号
原 告 柳 田 辰 雄
被 告 国立大学法人東京大学
証 拠 説 明 書 (10)
2017年12月 8日
東京地方裁判所民事第14部合2A係 御中
原告訴訟代理人弁護士 柳 原 敏 夫
1、書証(甲70~74)
甲号証
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標 目
(原本・写の別)
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作 成
年月日
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作成者
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立 証 趣 旨
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備考
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70の
1~2
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「学問の自由」
(抜粋)
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写
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1983.2.
23
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高柳信一
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近代社会の進展の中で、学問研究の主要な地位を占めた大学に代表される研究教育機関において学問の自由を保障した趣旨(思想の自由、思想の交易の自由等の市民的自由を教育研究機関に貫徹させるため)を明らかにしたもの。
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71の
1~2
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基本法コンメンタール憲法(第3版)抜粋)
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写
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1986.10.15
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高柳信一
大浜啓吉
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同上。
上記学問の自由の保障の趣旨から論理必然的に学問の自由の具体的内容が導かれること。
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72の
1~2
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「憲法学Ⅲ 人権各論(1)増補版」(抜粋)
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写
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2000.12.
30
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芦部信喜
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学問の自由の保障の趣旨について、上記高柳説に賛成すること。
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73の
1~2
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有斐閣双 書憲法(2)(抜粋)
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写
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1995.2.
28
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青柳幸一
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同上
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74の
1~2
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憲法1(第5版)
(抜粋)
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写
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2012.3.
30
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中村睦男
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学問の自由の諸外国の沿革で、上記高柳説を紹介していること。
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以 上