2018年3月3日に原告柳田辰雄教授の最終講義を、以下の通り行います。
当日は、パネルディスカッション、参加者との公開討論も予定しています。
誰もが参加聴講できます。
このテーマに関心を持つ方の参加をお待ちしています。
◆◆ 柳田辰雄教授最終講義 ◆◆
題名:「私の学融合と学問の自由」
日時:3月3日(土) 午後2時~
場所:東京大学大学院経済学研究科棟 3階 第2教室
地図->http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_08_01_j.html
パネルディスカッションの発言者
・ 柳田辰雄
->HP
・ 平山朝治(筑波大学人文社会系教授)
->HP
->HP
(C)1996 Naoyuki Kato
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学問の自由とは・・・
教員研究者は、思想を表明することを専門職能上の業務としており、職責上思想を表明しない自由をもたない。しかも、彼らは、みずから職能遂行上の手段をもち、依頼者と直接個人的に接する他の専門職能とことなり、研究手段からきりはなされており、大学設置者に雇われることにより始めて研究手段に接近し、また役務の受け手(それは集団化されているという特色をもつ)に接することができる。教員研究者が真理と信じることを表明することによって、研究手段を奪われることを、市民的自由行使に対するしっぺ返しとして容認することは、かれらの専門職能遂行を不可能ならしめることである。
高柳信一「学問の自由」より
憲法は、なぜ、表現の自由・思想信条の自由の保障のほかに、さらに学問の自由を保障したのか?・・・
1、現代憲法(日本国憲法等)において「学問の自由」が登場した理由
明治憲法には 表現の自由を保障したが、「学問の自由」は保障しなかった。日本国憲法で初めて「学問の自由」の保障が登場した。なぜ、新憲法で初めて登場したのか。
また、これはこう言い換えることができる--日本国憲法は思想および良心の自由や表現の自由など一般的な市民的自由を保障しており、本来なら、研究の自由はこれらの保障で足りる筈である。それなのになぜ、その上に「学問の自由」を保障したのか。
それは以下の通り、学問研究をめぐる研究者の環境が変化したからである。
2、学問研究をめぐる研究者の環境の変化
研究者といえどもまず生きていかなければならない。論理的には人間としてまず生きる条件が満たされて、次に研究することができる。そこで、サラリーマンとして商店主としてまたは農民として生きる糧を得て、その余暇に、余力をもって学問研究を行う場合がある。このような研究に対して、思想および良心の自由や表現の自由などの一般的な市民的自由(以下、この意味で「市民的自由」と呼ぶ)が保障されるのは当然である。しかし、近代社会の進展の中で、研究対象がますます複雑化し、研究方法がいよいよ精緻化するにつれ、こうした余技としての研究は例外的となり、それに代わり、学問研究の主要な地位を占めたのが、余技としてではなく、生活の糧も学問研究の場も同時に得る雇用された研究者たちの職業としての研究である。彼らは、大学に代表される教育研究機関に雇用され、生活の糧を与えられながら、同時に、教育研究機関において学問研究に専念したのである(以下、この職業的研究者を「教員研究者」と呼ぶ)。
この雇用関係の結果、本来であれば、教員研究者が教育研究機関において学問研究に従事するにあたっては、彼らに対し、教育研究機関が雇主として有する諸権能(業務命令権、懲戒権、解雇権[1]等)を行使することが認められる。しかし、学問研究とは本来、これに従事する研究者が自らの高められた専門的能力と知的誠実性をもって、ただ事実に基づき理性に導かれて、この意味において自主的にこれを行うほかないものである。そこで、もしこのような本質を有する学問研究に対し上記諸権能の行使がそのまま認められたのでは、教員研究者の教育研究機関における学問研究の自主性が損なわれるのは必至である。なぜなら、雇主は使用人である教員研究者の研究態度や研究内容が気に入らなければ、雇主の権限を用いて使用人を簡単に解雇することが出来、或いは使用人の研究内容や方法についてあれこれ指示を出すことも出来、雇主の指揮命令下にある使用人である教員研究者はこれらの措置に従わざるを得ないからである。雇主のこれらの措置の結果、結局において、教員研究者の教育研究機関における学問研究の自由は存在の余地がなくなる。
3、学問研究をめぐる研究者の新しい環境に対応した新しい人権の登場
以上より、仕事の余技として学問研究を行うのではなく、教育研究機関に雇われて当該機関で使用人としての立場で学問研究を行うという「新しい環境」(その環境は偶然のものではなく、近代資本制社会において構造的に必然のものとして出現している)の下では、教員研究者に、単に個人として一般的な市民的自由を保障しただけでは、彼らの主要な学問研究の拠点である教育研究機関内部において学問研究の自由を保障したことにはならない。教育研究機関の内部においては、教員研究者は雇用における指揮命令の関係によって、一般的な市民的自由は既に失われているからである。
そこで、教育研究機関の内部においても、教員研究者に既に失われた市民的自由を回復し、もって教員研究者の学問研究の自由を保障するために、新しい皮袋=新しい人権を用意する必要がある。それが「学問の自由」が登場した所以である[2]。すなわち19世紀後半以降、新しい人権として「学問の自由」が意識され、その保障が要求されるようになり、遂にその保障が実現されるに至ったのである。この意味で、教育研究機関の内部で一般的な市民的自由の回復をはかる「学問の自由」は市民的自由と同質的なもので、従ってそれは学者(教授)という身分に伴う特権ではなく、教育研究機関における真理探究という終わりのない過程ないし機能そのものを保障する「機能的自由」であり、それは学問的な対話・コミュニケーションであるからそのプロセスに参加するすべての者に保障されるものである(高柳「学問の自由」36~41頁。61~65頁)。
(原告準備書面(8))
本件事件:国際政治学か国際法専攻の研究者を採用するための教授人事において発生した3つの違法行為とは・・・
※ 予備知識:東大柏キャンパス新領域創成科学研究科の教員人事手続の流れ
①.本来、教授人事の具体的な教授候補者の募集が進行している場合、発議した専攻の基幹専攻会議で応募者の中から候補者を1名決定します。
しかし、本件では、教授人事の具体的な教授候補者の募集が進行しているさなかに、何らの手続も採らずに、突如、この教授人事が「中断」されました。このような事態の発生はおよそ考えられず、これを禁止するルールすら存在しないほど異常な出来事です。
②.本来、どの専門分野の教授を採用するか、一度決定された分野をその後、都合により変更する場合には、その教授人事を学術経営委員会に発議(提案)した専攻の基幹専攻会議であらためて討議・決定する必要があるというルール(申合せの注1)があります。
しかし、本件では、このルールを無視して、発議した専攻の基幹専攻会議の討議・決定を経ないで、変更された新分野の教授人事が学術経営委員会に発議(提案)されました。
③.本来、学術経営委員会に発議(提案)された分野変更については、学術経営委員会は分野選定委員会を設置し、分野選定委員会は会議を開催し、そこで審議・決定するルール(申合せ)があります。
しかし、本件では、分野選定委員会の開催・審議・決定という手続を取らずに、その手続があったかのように仮装して、分野変更が決定されました。
さらにこの仮装に関して、公務員は職務に関して虚偽の内容の文書を作成すると虚偽公文書作成罪となりますが(刑法156条)、本件では、実際は開催されなかった、分野選定委員会が開催され、審議の結果、全員一致の承認による決定があったとする虚偽の内容の報告書が作成され、学術経営委員会に提出されました。この報告書の作成は刑法の虚偽公文書作成罪となります。
以上の詳細は->原告準備書面(6)
※ 関連記事
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